窓をかたどる

台所にそなえつけられた、アルミサッシのガラス窓。日本ではよく見かける、ごく一般的な窓。彼女はそれをおもむろに取り外す。掃除でもするのだろうか…?いや、違う。外した窓を床に横たえて、その上に合成樹脂を少しずつのせはじめる。窓全体を樹脂でかたどっているのだ。彼女はこの工程を淡々とくりかえし、窓のようで窓ではない不思議なものを、ひとつ、またひとつと生みだしていく。 
ーーーいったい、なんのために? 
ぼんやりと透きとおったそれらは、同じ型からつくられているのに、それぞれ異なった様子をしている。厚いものに、薄いもの。透明に近いものもあれば、古びたパラフィン紙のように深い黄色味をおびたものもある。樹脂のなかに封じこめられた無数の気泡も、それぞれが個性ゆたかな形状をしているし、ときには糸くずや髪の毛が混入していることもある。さらに、固まった樹脂の表面に絵の具で色がつけられていることもある。そのランダムな筆あとも、繊細な表情の違いを生みだしている。 
一方でそれらは、大量生産品としてのサッシ窓のもつ「既製品らしさ」の痕跡をとどめてもいる。タテとヨコのサイズは、規格化された窓のサイズに準拠したものだし、樹脂の表面には、くもりガラスのでこぼこしたテクスチャーや、ガラスのなかに規則正しく埋め込まれた補強ワイヤーの跡がうっすらと写しとられている。
 
画一化された「既製品らしさ」と、そこから逸脱して多様化していく部分ーーーその両面をあわせもつという中間的なあり方は、見る者をさまざまな想像へと誘いだす。たとえば、樹脂の表面にさっとのせられた、淡いブルーの色合い。それを見ていると、薄く雲のひろがる青空をガラスごしに眺めるという、いつかどこかで経験したことの記憶をわたしは思いださずにはいられない。黄土色に濁りかけたような色合いの個体を見つめていると、今度は年季の入った建物の窓をうっとりと思いうかべてしまう。表面のでこぼこした起伏に意識を集中させていくと、はるか上空から地表面を眺めているような気持ちになる。地図や絵画、写真などを連想させる、四角形というフォーマットの魔力も働いているのだろうか。それらはすべて、世界を切りとって見せる「窓」なのだ。
 
あるいは、こんなふうにも思う。「既製品らしさ」と、そこから外れていく部分とがともにあるという状態は、大量生産された商品がさまざまな環境で用いられ、しだいにその「既製品らしさ」を手放していくプロセスを象徴的に表しているのではないのだろうかと。最初は均質で画一的であった商品も、温度や湿度といった自然の力や、それを使用するひとの個性ーーー個々の人間のもつ身体的な特徴や、ささいな癖のようなもの、生活のリズム、そして、それを使用したという記憶の蓄積などーーによって、それぞれが個別のものへと変容していくのである。
 
こうした「既製品の変容」という事態は、彼女がこれまでに制作してきた作品のなかにも見いだすことができる。石膏でカーテンをかたどりした作品や、使用済みのティッシュペーパーをえんえんと集めて敷きつめた作品。二ヶ月かけて使いつづけた湯船の水を、毎日少しずつ採取してパッキングした作品に、起き抜けの乱れた寝具を定点観測した写真。これらはすべて、大量生産された商品が、さまざまな自然条件や彼女自身との関わり合いのなかで、少しずつ変容していく様子を示している。
 
そのようにして身のまわりの品々が「既製品らしさ」を手放していくプロセスは、彼女自身の変容のプロセスでもあるだろう。月日の経過や自然の力はひとの心やからだにも影響し、そのひとが物に触れる際のちょっとした所作を、ゆるやかに、ときにドラスティックに変えてゆく。そうした差異のつみかさねこそが、彼女という存在をかたちづくっているのだともいえる。日々の暮らしで接する日用品は、そのような変化の痕跡を写しとる記録装置のようなものであるし、同時に、彼女の変化を受けて生じた差異を、さらにまた彼女へ返してゆくという、相互関係的な存在でもあるのだ。日々淡々と描きだされてゆくドローイングにも、これと同じことがいえるのではないだろうか。
 
彼女の作品は、そうした相互関係的な変容のプロセスを、少し離れたところから見つめなおそうとする。日用品そのものを見せるのではなく、それらをかたどったり、写真に撮ったり、もととは異なる状態に並べて展示するといった方法で。このちょっとした距離もまた、見る者に想像の余地を与えるのだろうーーこれはわたしの、そしてあなたの、「変容」であるのかもしれないと。
 
あるいは、こう考えてみることもできる。そもそも彼女が借りている部屋の窓は、彼女の前にそこに暮らしていた誰かや、その部屋をおとずれた誰か、そして、彼女の後にやってくるであろう未来の住人と、その変容の過程を「共有」しているのではないかと。さまざまなひとの痕跡を受けとめて、共有関係の土台となってゆく窓。それをかたどった作品が、わたしやあなたにとって関われた存在であるように感じられるのは、ごく自然なことなのかもしれない。そこにあるのは、既製品に囲まれた暮らしの細部に目をこらし、そのなかにひそむ差異や共有性をポジティブにすくいあげていこうとする強さなのだ。
 
(とみやまゆきこ/写真史研究)